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東京地方裁判所 昭和36年(合わ)182号 判決

判  決

本籍

東京都世田谷区松原町二丁目六百九十番地

住居

同都新宿区若葉町三丁目四番地

無職 倉島七技

昭和十二年二月八日生

右の者に対する現住建造物等放火被告事件につき、当裁判所は次の通り判決する。

主文

本件公訴を棄却する。

理由

一、起訴状は別紙記載のとおりであつて、その公訴事実には(1)「冒頭から母の手一つで育てられたが」迄に被告人の生立ちを、(2)「戦後食糧難云々以下施設の生活を続けて来た」迄に被告人の悪性行を、(3)「昭和三十二年十二月頃、父母の愛情を求めるようになつて、以下勝治や兄満治との折合いも悪かつたので」迄に被告人の家庭環境を、(4)「翌三十三年二月以下昭和三十六年四月五日右刑を終えた後は」迄に被告人の前科を、そしてそれ以下に本件公訴犯罪事実の直接の動機、態様および結果を順次記載してある。しかして検察官は右起訴状には何らの瑕庇なく有効である旨主張する。

二、しかしながら右公訴事実のうち、(1)乃至(4)の記載就中(2)、(4)の記載に起訴状の記載として果して適法のものであろうか、刑事訴訟法第二百五十六条の法意に照すとき頗る疑問である。同条は起訴状に記載すべき事項を特定し起訴状には被告人の氏名その他被告人を特定するに足りる事項、公訴事実および罪名だけを記載すべきものと定め、余事記載、殊に裁判官に事件について予断を生ぜしめる虞のある書類その他の物を添附し、又はその内容を引用することを禁止していることはいうまでもないことである(同条第六項第二項参照)。しかして右法案の趣旨とするところは、刑事訴訟法が旧刑事訴訟法と異り起訴状一本主義の原則を採用し、起訴の段階において、何等の先入的心証を裁判官にいだかせることなく、白紙の出発点から公判審理を進め、公判中心主義並びに直接審理主義に則つて、事案の真相を公明に判断せしめんとするにあることは、最高裁判所が夙に判示しているところであり(最判昭和二七年三月五日刑集六巻三五一頁参照)、これに刑事訴訟法が検察官の冒頭陳述の手続を規定していることにかんがみると、起訴状に公訴事実として記載しうる事項は限定されており、裁判官に予断をいだかせる虞のある事項はその記載が起訴状の記載として不可欠な事項を除いては記載してはならないものと解するのが相当である。そうとすれば、被告人の悪性格(前科、悪性行、悪経歴等)の記載はそれが、当該公訴犯罪事実の構成要件となるか或いは事実上当該構成要件の必要的内容をなすかの如き場合でない限り、その記載は同条第六項の許さない違法のものであつて、斯る起訴は結局公訴の提起に関する重要な手続に違背したものとして無効のものといわなければならない(同旨の判例として前掲最判昭和二七三月五日、刑集六巻、三五一頁、広島高判昭和二四年一〇月一二日刑集二巻三六六頁、仙台高判昭和二五年三月七日特報一三号一七八頁、同高判昭和二五年五月三〇日特報一一号一五二頁、広島高判昭和二五年一一月一五日特報一五号一四頁参照)。

三、そこで本起訴状の効力について考按するに、前掲公訴事実のうち、(2)、(4)の記載は本件公訴犯罪事実の構成要件となる事実でないことは勿論、動機原因関係としても精々遠因に過ぎないのであつて公訴犯罪事実と密接不可分の関係ある事実でもない。しかしてこれ等の記載、殊に記載の前科に関連する部分には、本件公訴犯罪事実と、犯行の原因関係において、又その態様において、尠からず共通するもののあることが推量されるのみならず、この記載は記載自体によつてこれと同旨の確定判決―証拠資料―の存在が推測され、見方によつては確定判決を引用したと同じ効果をもつ記載でもある。かかる記載は刑事訴訟法の所期するところに反し、公訴提起の段階において、裁判官をして、被告人に同種の犯行の反覆性等のあること―間接事実としての―について、予断と偏見をいだかせる大きい危険性を内包しているものといつても過言ではあるまい。そうとすれば、右記載はまさに刑事訴訟法第二百五十六条第六項に違背し、その起訴は無効のものといわねばならない。検察官は本件公訴事実のうち右部分を削除することによつて前記違法性は治癒される旨主張するが、かかる事項を一旦起訴状に記載した場合、これによつてすでに生じた違法性は、その性質上もはや治癒することはできないものと解するのが相当であつて、このことはこれまた最高裁判所が前掲判決で判示しているところである。これ蓋し、起訴状の記載事項についての予断、偏見の虞の有無は、事の性質上、判断以前の心理的、主観的問題であり、且つ刑事訴訟法第二百五十六条第六項が憲法第三十七条に基く厳格な効力規定であることにかんがみると、削除によつてはその違背―起訴状乃至起訴状添付書類という形式によつて一旦具現された心証形成の危険性―はこれを補正し得ないと解するのが相当であるからである。

四  以上の理由により、本件公訴は棄却すべきものであるから、刑事訴訟法第三百三十八条第四号により、主文の通り判決する。

公判出席検察官検事 西村常治

弁護人弁護士 片山繁男

昭和三十六年六月三十日

東京地方裁判所刑事第九部

裁判長裁判官 八 島 三 郎

裁判官 大 北   泉

裁判官 佐 藤 文 哉

起 訴 状(勾留中)

左記被告事件につき公訴を提起する

昭和三十六年六月三日

東京地方検察庁

検察官 検事 ○ ○ ○ ○

東京地方裁判所

御 中

本籍 東京都世田谷区松原町二丁目六百九十番地

住所 東京都新宿区若葉町三丁目四番地

職業 無 職

現住建造物等放火 倉島七枝(かずえ)

昭和十二年二月八日生

公 訴 事 実

被告は、倉島勝治、同已代の長女として生れ、幼少の頃は父が外地にあつたため母の手一つで育てられたが、戦後食糧難の時期に自宅から食べものを持ち出したり、近隣の店舗より食糧品を無断で持ち去ることがあつたゝめ、父より痛く制裁をうけ、これがため父親を畏怖するようになり、十三才の頃には家出して、両親のある身に拘らず、戦災孤児と偽つて自ら保護施設に収容を求める等して爾来、施設の生活を続けてきた。

昭和三十二年十二月頃、父母の愛情を求めるようになつて一旦帰宅したが、当時既に母已代が勝治との折合が悪く新宿区若葉町三丁目四番地に間借りをして別居していた上、勝治や兄満治との折合いも悪かつたので、翌三十三年二月、父勝治の家に火を放ち、そのため懲役三年の刑を受けたこともあり、昭和三十六年四月五日右刑を終えた後は鮨屋等に勤めたものの永続きせず、十日余りで若葉町の母の許に帰つたが、母達の生活は夜具も殆んど無き極貧の生活であつたところ、たまたま五月十三日午前九時半頃渋谷区千駄ケ谷五丁目三十一番地の父方に赴いた際、父方は畳敷に箪笥、寝具等家材道具も一通り揃つているのを見て、父一人がそのような生活をして家族を顧みない態度に思い到り、父に対する憎悪が一時につのり、遂には父の居室に火を放つてその忿懣を霽らようと決意し、直ちに、留守中の右室内の箪笥及び茶箪笥の各抽出内にあつた新聞紙に、順次マツチで点火して火を放ち、よつて倉島勝治外五世帯の現住する中沢長太部所有にかゝる木造二階建一棟三戸建、延建坪五十四坪の住家の一部約〇五坪を焼燬したものである。

罰   条

刑法 第百八条

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